伊藤洋華堂の幹部だった鈴木敏文(1932年生まれ)は1973年に米国を訪れ、社内の懐疑論を押し切って、ヨークセブンという受け皿会社を通じて1973年11月にセブン-イレブンのライセンス契約を結んだ。日本第1号店は1974年5月に東京・豊洲で開店し、24時間営業の第1号店は1975年6月に福島・郡山で開店した。フランチャイズによって拡大し、1976年には100店、1980年には1,000店を達成、1982年からはPOS発注システムを導入した。朝日新聞の表現を借りれば、このデータは需要に合わせて在庫を調整する取り組みの先駆けとなった。

逆転が起きたのは、ライセンス供与側がつまずいたからである。サウスランド(1927年にダラスで氷販売チェーンとして創業し、1946年にセブン-イレブンに改称)は1987年に52億ドルのLBOで非公開化され、負債に押しつぶされて1990年10月に破産申請した。1991年3月6日、伊藤洋華堂とセブン-イレブン・ジャパンは現金4億3,000万ドルで70%を買収した。トンプソン家は5%、債権者は25%を保持した。UPIはこれを、日本のライセンス先による「経営難の米国企業」の救済と表現した。2005年にセブン-イレブン・インクは完全子会社となり、セブン&アイ・ホールディングスが設立された。2011年には日本側が7-ELEVENの商標そのものを取得した。

現在の規模は、日本国内に21,927店(2026年2月時点)、チェーン全体の売上高は約5兆4,700億円、世界では北米の13,000店以上と2021年に加わったスピードウェイの3,800店を含む約85,000店を展開し、世界最大のコンビニエンスストアチェーンとなっている。「日本のコンビニの父」と呼ばれた鈴木は、2026年5月18日に93歳で死去した。

ライセンス店1店(1974年)から、日本国内21,927店、世界約85,000店へ。その原動力は、1991年に破綻した米国親会社を4億3,000万ドル(70%)で買収したことだった。

フランチャイズの密度と品目単位のデータによって、ライセンスを受けた形式は優れた運営マシンへと変わった。ライセンス先はそのモデルを完全に極めたため、もはやライセンス供与側を必要としなくなった。

1991年の救済は逆方向の戦略だった。破綻した親会社の70%を買収することで、日本のライセンス先はブランドと米国市場を確保した。運営者が所有者になったのである。

ライセンスは実証済みのモデルを輸入する最も安価な方法であり、同時にライセンス供与側を追い越す最も速い方法でもある。まずその形式を現地で改善し、供与側がつまずいたときにブランドを自らのものにするのだ。

セブン-イレブン・ジャパンは1980年に1,000店、2003年に10,000店を突破し、現在は日本国内で21,927店を運営してチェーン売上高は約5兆4,700億円に達する一方、1991年以降のネットワークは世界で約85,000店に及ぶ。2026年5月の鈴木の死去により、ライセンス先をその形式の支配者にした男の時代が幕を閉じた。

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出典

  1. SEJ History (1973 license; 1974 Toyosu; 1975 Koriyama 24h; 1982 POS; 1991 Southland; 2005 subsidiary) Seven-Eleven Japan (official) · sej.co.jp ·
  2. Japanese Firms Pull Southland Corp. From Chapter 11 ($430M for 70%) Los Angeles Times · latimes.com ·
  3. Ito Yokado completes purchase of majority Southland stake UPI Archives · upi.com ·
  4. Toshifumi Suzuki, father of Japan's convenience stores, dies at 93 The Asahi Shimbun (AJW) · asahi.com ·
  5. Corporate Profile (21,927 Japan stores; ¥5.47T chain sales) Seven-Eleven Japan (official) · sej.co.jp ·