2004年後半までに、三菱自動車はほぼ終わりに近づいていた。長年にわたる組織的な故障記録の隠蔽と秘密裏の修理が、度重なるリコールで表面化していた。2004年の販売台数は41%減少し、30%株主であったダイムラークライスラーは2004年4月に追加出資を拒否して持ち分を償却した。2005年1月の資金調達ラウンドは、8か月で3度目の救済であった。

転換点は2005年1月28日に訪れた。三菱重工業、三菱商事、三菱東京フィナンシャル・グループが2700億円の資本を注入し、2400億円の新規融資と300億円の資産売却に支えられた総額5400億円のパッケージである。経営トップ3人は全員退任し、西岡喬が最高経営責任者に就任して、三菱商事出身で自動車事業には外部者である益子修を社長に据えた。同日、MMCはPSAプジョー・シトロエンとの先進的な協力契約を発表した。

再建計画は予想を達成可能な水準に引き下げた。2004年度の販売台数は133万7000台と、数か月前に約束した140万台を大きく下回る水準であり、2006年度に80億円の純利益、2007年度に「持続可能な収益性」を目指した。また、リコールの遺産を葬るための費用も支払った。三菱ふそうの投資家への747億円の補償と、所有者向けの252億円の無償点検である。

2005年度には3年ぶりの営業黒字となる68億円を計上し、前年の1285億円の営業損失から改善、純損失は920億円に縮小した。益子社長は、新たなアウトランダーとiシリーズが顧客の信頼回復への第一歩だと述べた。2006年度(2007年3月終了)には、MMCは87億円の純利益を計上し、2002年度以来初めて営業、経常、純利益のすべてで黒字となり、売上高は2兆2030億円と計画の80億円目標を上回った。

2006年度の純利益は87億円で、2002年度以来初めて営業、経常、純利益のすべてで黒字となり、売上高は2兆2030億円であった。

2700億円の資本注入は、自動車メーカーを存続させることに数十年にわたる系列の持ち分を持つ企業からもたらされた。すなわち、迅速なリターンを求める再生ファンドではなく、忍耐強い資金であった。

経営陣は完全に一掃された。会長、CEO、社長が全員退任し、商社の規律を持つ外部者が業務を担当した。

目標は、過大な予想が1年続いた後、達成可能な販売量に基づいて再設定された。計画は、利益を約束する前に、予見可能な下振れリスクを排除することを明示的に目指した。

リコールの遺産は前もって支払われた。補償と無償点検により、未解決の信頼の負債を回復期に持ち越すことはなかった。

成長は、MMCが実際に製品を持つ分野で再構築された。すなわち、アウトランダー、i、ランサーのラインナップとアジア・新興市場の需要であり、崩壊した米国と日本の販売量ではなかった。

救済は、グループが出血を止めるのに十分な資金を投入し、企業が実際に達成できる目標に再設定して初めて機能する。過大な予想はすでに1年分の信頼を失わせていた。

計画は約束を守った。2007年度について、MMCは新たなアウトランダーとランサーに牽引され、売上高が7.4%増の132万台となり、さらに200億円の純利益を予想した。同社は独立を保ち、その後の10年間は黒字を維持した。ただし、危機と再設定のパターンは2016年に再び現れ、燃費不正問題が発覚し、日産が34%の株式を取得してMMCをそのアライアンスの一部とした。

出典をたどる

出典

  1. Mitsubishi seeks $5.2bn bail out BBC News · news.bbc.co.uk ·
  2. MMC suffers a 475 billion yen loss The Japan Times · japantimes.co.jp ·
  3. MMC operating profit may signal end to dark days The Japan Times · japantimes.co.jp ·
  4. JAPAN: Mitsubishi reports first profit for four years just-auto · just-auto.com
  5. JAPAN: Mitsubishi Motors plans return to profit in 2006 just-auto · just-auto.com