エンブラエルは軍用機とターボプロップ機の事業を、主に国の信用で販売する形で築いていた。1990年代初頭までにその基盤は失われた。イラン・イラク戦争の終結とアンゴラ紛争の終息で主要な輸出市場が閉ざされ、アルゼンチンとのターボプロップ共同プロジェクトは失敗し、ブラジルは同社が頼っていた輸出金融を削減した。1994年、エンブラエルは売上高1億7700万ドルに対して3億1000万ドルの損失を計上し、ブラジルの輸出企業の中で38位まで後退していた。政府はその12月に会社の45%を8900万ドルで売却し、拒否権付きの株式を保持するとともに7億ドルの債務を引き受けた。

新たな所有者は管理階層を10層から4層に削減し、1995年には従業員を約1,700人削減し、部門別ではなくプロジェクト別に生産を再編した。支配株主グループ出身の技術者マウリシオ・ボテーリョが1995年9月にCEOに就任し、過剰な技術志向という同社の癖を押し切り、売れる価格を付けられる製品へと向かわせた。賭けの対象はERJ-145だった。50席のジェット機で、ボンバルディアのCRJ-200より約15%安く運用でき、エンブラエルのブラジリア・ターボプロップ機の部品の約30%を再利用し、一部はサプライヤーとのリスク分担とブラジルのProex輸出信用プログラムを通じて資金調達された。

民営化後の所有者は階層を削減し、既存ターボプロップ機の部品の30%を再利用することでボンバルディアより15%安い価格の地域ジェット機に賭け、ジェット機への移行を勝ち取った。

地域航空会社はすでにターボプロップ機からジェット機へと機材を更新していた。エンブラエルは、消え去った軍用市場や国庫支援市場を取り戻そうとするのではなく、ERJ-145をその移行に向けた。

ブラジリアの部品の3分の1を再利用したことで、エンブラエルは完全に新しい生産ラインなしでボンバルディアより低い単位コストに到達し、既存資産を競争を決する強みに変えた。

製品への賭けの前に管理階層を削減したことで、同社はボンバルディアの量産ペースを上回る速さでERJ-145を納入できた。300機目は3年8か月で引き渡された。

サプライヤーとのリスク分担により、ジェット機の開発費をエンブラエル自身の貸借対照表から切り離せた。これは国の金融支援を失ったばかりの企業にとって重要だった。

保護された買い手を失った国営サプライヤーは、人間関係ではなくコストで民間市場が対価を払う製品を見つけなければならない。旧プラットフォームの部品は、白紙設計の代わりに転換を支える資金になり得る。

エンブラエルは11年連続の赤字の後、1998年に黒字に復帰した。売上高は1994年の1億7700万ドルから1996年には3億9000万ドル、1998年には13億6000万ドル、2001年には29億3000万ドルへと増加した。輸出は1994年の売上高の40%から2001年には98%へと拡大し、同社はブラジル最大の輸出企業となり、2001年の最初の11か月だけで9億8400万ドルの貿易黒字を記録した。2001年までにエンブラエルは販売機数で世界の地域航空機市場をリードし、従業員は1996年の約3,800人から10,000人超へと増えた。

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出典

  1. Embraer: From national champion to global player CEPAL Review · repositorio.cepal.org
  2. Reversal of fortunes FlightGlobal · flightglobal.com
  3. History of Empresa Brasileira de Aeronáutica S.A. (Embraer) FundingUniverse · fundinguniverse.com